アウシュビッツ・ビルケナウ収容所に行ってきました

アウシュビッツ・ビルケナウ収容所に行って思った事


兵士も捕虜も僕らと同じ普通の人。家族があって、学校に行って、仕事に行って、好きなものがあって、嫌いなものがあって、笑う人、泣く人、真面目な人、怒る人、うるさい人、静かな人、国籍の違う人、外向的な人、内向的な人。その様な僕達の様なごくごく普通の人が普通では無くなってしまうのが戦争。そしてそのような状況にしてしまったのは、その国というより人類の過ちだと思う。これも人間の性質であり、悲しいかな目を背ける事は出来ないが、これらを防ぐ事は出来る。歴史から学ぶというのは、人間は状況によってこのようになってしまうという事を理解した上で、理性で、知識で、そうしないように予防する事なのかなと感じた。利己的な考えの果てにアウシュビッツ・ビルケナウ収容所の様な負の遺産がある。とても重い雰囲気で、建物がそのまま残っており、ものすごくリアル。初めてここまで戦争というものを実感したし、戦後74年、人の本質が変わっているはずがなく、もし誰もこの歴史を振り返らず、また同じ状況に置かれれば、同じ事を繰り返す可能性が十分にあると感じた。本質はそう簡単に変わらない。みんながしっかりと理解すれば防ぐ事は出来る。やはり、何かや誰かをカテゴリーとして括ってしまう事は非常に良くないと改めて思った。全く知らない国の兵士に番号で呼ばれ、ユダヤ人として括られ殺されていく。ただただ普通の生活を送っていた、国の政治などに何も関与しない人々が、一夜にして国の意向で強制的に連行され、殺されていく。「何故だ。お前らと何が違うのか。」神に頼るしかない。生き延びた人も、ずっと、他の死んだ人達の事を忘れられない。無慈悲に殺されるという状況の元で人間のする命乞いはとても純粋、心の底からの生きる事に対する望み。それを一瞬で消し去るのも人間。それを感じられていたのもどのくらいの期間なのか。気力も体力も失われていく。生還できた人の体重は、70キロから25キロまで落ちていた。普通の人が普通の人を、毎日の作業として殺していく。それが正しいと思わせてしまった人類の過ち。アウシュビッツは規模が大き過ぎて、実感として捉える事は僕には出来なかった。ただ、それだけの事になってしまう人間の本質を実感した。その普通の人がなり得る狂気に背筋が何度も凍ったと同時に、人間不信に陥りそうになった。正直、アウシュビッツは日本が関与しているわけでなく、外国で起きた事であり、彼らの考えが理解できるわけではない。ただ、日本も同じ様な事をしていた事も考えなければいけない。ここでの残虐な行為は日本とは無関係でも、日本が犯した罪とそうなってしまった歴史を振り返り、人類としてだけでなく、日本人としても学べる事が多いと思った。我々は状況によって、様々な心理状況になり得る。それが自分の意思に初めは反していたとしても、環境によって少しずつズレていく。それに気づけるだけの理性を持って、均衡を保っていくことが大切だと思った。


・日本人としてビルケナウ収容所で経験した話


崩れ落ちた焼却炉の前で生徒達が体育座りをしながら先生の話を聞いている。先生はユダヤの服を来ていて、生徒たちはみな白っぽい服をそれぞれ来ている。彼らは、そこで何を感じているのだろう。僕はその隣で過去にあった事実を想像しながら呆然と立っていた。突然先生は僕に話しかけてきた。

「あなたはどこから来ましたか?チャイナ?ジャパン?」

僕は答えた。

「ジャパンから来ました。」

彼は僕に質問する。

「あなたはスギハラを知っていますか?」

僕は頭の中で記憶を辿る。チウネ?と思ったが、

「分かりません。」

彼は笑顔で僕にこう伝えた。

「私達は日本にとても感謝をしています。スギハラは、私達ユダヤ人の多くを助けました。彼は、私達のパスポートに沢山スタンプを押し、私達の多くを日本に迎え入れました。私達はスギハラの事を忘れません。ありがとう。」

僕は、なんと言っていいか分からず、

「ありがとうございます。」

と答えた。するとそのすぐ後に、生徒が声を合わせて、

「日本の方、ありがとう。(その後の言葉は聞き取れず)。」

僕は、とても複雑な思いで、どうしていいか分からず、軽く頭を下げて立ち去った。

その後、僕が離れた場所で、彼らの歌声を聴いた。透き通った歌声だった。

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