カテゴライズ

人はすぐ誰かをカテゴライズします。「あの子は可愛い。人生楽しそう。」「あの人はちょっとおかしい。〜っていう障害らしいよ。」このような会話は良く話されるカテゴライズの良い例です。前にも書いたように人はゴシップが好きで、他人の話をよくします。その人をバカにしたり、自分と比較して劣っているとか、下だとか、何かと比較します。その方が楽だし、自分もいい気分になれます。ただ、人ってそんな単純じゃないし、その基準だけでそんな白黒はっきり判断できませんよね。男性にだって女性的な部分はあるし、女性にだって男性的な部分がある。そこに人それぞれの個性があり、その人という価値があります。「みんな違ってみんないい」という金子みすゞの詩にもあります。この詩はどこか偽善のような感覚を受けますが、素直に捉える事が出来れば、そもそも人間は全く同じ人などいないのだから、当たり前の事を言っているだけです。何かを判断する時、必ず何かしらの尺度、基準を用います。それは外部から与えられたもの。社会が一概に規定したものであり、社会が求めているもの。必ず全てを網羅できずに、一概にその人をカテゴライズします。学歴が良い例です。確かに一定以上の記憶力を持つ人を計る指標にはなります。ただそれはその人の個性を全くカテゴライズ出来ていません。ただ、今の世の中で重視されるようなテストに合格したというだけで、それによって良い気になったり、劣等感を持ったりするのは違います。


ただ、カテゴライズする事の効用もあり、例えばある人がアルコール中毒である場合。アルコール中毒という病名がはっきり規定されていなかった時代には、アルコールをやめられない、毎日飲んでいる人は、「意志が弱い人」というレッテルを貼られ、そのように見られてきました。ただ、それが病気として認識されてからは、その人は「意志が弱い人」から「アルコール中毒という病気の人」と周りの認知は変化します。この2つが与えるイメージは全然違いますよね。その人のパーソナリティでは無く、不可逆なものへ意識が向けられ、そこには失望から情が生まれます。また、病気という事は、将来治る可能性を秘めているという意味でもあり、希望が与えられます。


またカテゴライズする事は、自分がどのような人間なのかを理解する助けにもなります。自分が何か違和感を感じ、社会と上手くいかない時、その漠然とした不安を消すために自分に似た症状の人を見つけ、安心します。自分は〜が好きだというカテゴライズも自分のアイデンティティを自分で認識する、他者に示す良い手段になります。


結局人はカテゴライズによって良い効果も悪い効果も得られます。何かをカテゴライズする時にはそれが必要なものなのか、それとも先入観としてしまうものなのか考え、最初は極力カテゴライズしないのが良いかと思います。

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