Sorry We Missed You

物流業界への内定の報告を尾崎先生に伝えた時にお勧めしていただいた作品。

1番胸に刻まれているのは、安定した家族を維持することの難しさだ。日常の同じ時間、共に生きてきた過去の記憶、そして人生を共有する支え合う家族だからこそ、困難な状況で簡単に歯車がずれ、崩れてしまう。ハッピーな場面も少しはあったが、不遇なことばかりが立て続いて、父も母も息子も娘も楽しかった記憶を持ちながらも、現状がおかしいと思いながらも、それに抗えず、巻き戻せず、みるみると崩れていった。一度も手をあげたことの無い父親が息子を殴ってしまうシーン、小学生の娘が幸せだった家族の関係を取り戻したい一心で父親の仕事道具であるバンの鍵を取ってしまいそれを告白するシーン、過度で思いやりの無い言葉を投げつける上司に対して母親が汚い言葉を吐いてしまい介護士としての自分の信条を破ってしまったことに対して泣き崩れるシーンなどは、心が締め付けられてきつかった。みんなでバンに乗って楽しかった頃の家族を思い出しながら楽しく過ごすシーンがそれによってとても鮮明に印象に残った。不幸な状況下にのみ垣間見える、何が幸せだったのかという核心。この家族の短命な幸せの光景がなんとも切なく、永遠では無いことは明白だった。

 

物流業界における人手不足は深刻で快適な物の動きの裏にはこうした人々が大勢いる。法律などはクソほどの建前でそれとは関係なく扱われている人がいる。綺麗事だけれども、この作品の家族が幸せになれない社会システムはおかしいと思うし、ケンローチ監督もそういうメッセージを込めているはずだ。家族全員で描けた幸せの形が彼らの希望であり生きがいであるが、それが叶わないと悟った時の悔しさはそれと比例もしくはそれ以上に残酷に何か不穏なものを突きつける。様々なシステムは開発されど、この様な現状はまだまだ確実にあり、ここにアプローチすることはとても意味のある仕事だと感じた。

 

最後に、誰かが言った次のような言葉を思い出した。「幸せは当たり前のことなのでその瞬間には分からず、失いかけて初めてそれが幸せだったらしいことに気づき、失って初めてそれこそが幸せだったことに気づく」と。これって結構核心ついた言葉だと思う。