戒名

先日、祖父の49日が行われた。祖父家と私の家族で納骨をした。仏教徒では無いのでどこか形式的だと感じつつ、日本人が納得する方法は結局これなんだろうと腑に落ちもした。仏教では、死後は仏となり、性格と位によってお坊様から新たな名前が与えられる。祖父も新しい名前を授かった。葬式で最初に聞いた時は違和感を持ったが、今日は違った。死は我々が経験の無い漠然とした概念である。祖父が死んだと伝えられてからも、完全にいなくなったとは思えていなかった。これはつまり、我々が他人の存在を、視覚ではなくその個人の内面が生み出す一種の"魂"で捉えているということである。命は刹那的だが、"魂"は永遠的である。人の「死」を事実として認めさせるための、人類史上の試みの1つが「改名」なのだろう。位牌と墓石に掘られた祖父の新たな名前を見た時、本当に去ってしまったことを実感し、二度と帰って来ない「終わり」を認めた。違う世界に行くこと、そして終わりを認識することは改名と大きく関係があるんだと思う。


祖母の命日、家族で花を供えに行った。同時に久しぶりに祖父のことを思い出した。昨年の9月に亡くなってからまだ7ヶ月。久々に祖父の夢を見て、リアルに身体が思い出した。日々不安定に変化する体調について憂慮していた。自分に対してはいつも通り優しい。春、そして家族の温かさが眠っている感覚を呼び戻した。まだ生きている感覚を思い出して、どうしようなかった。