ニーチェ

ニーチェを読んだ後、寝落ちをして、夢を見た。何かを探していた。死と関係ある何か。誰かかもしれない。金縛りにあった。それを夢の中で解こうとした。目を開けたら手が2つ。いつもの錯覚。右目は一本。左目は2本。確かに本を握りしめている感覚だけはあった。起き上がれた。途中で何かが落ちる音がした。それは僕が置いたスタバのコーヒー。なぜあんなにも綺麗に落ちたのか。気持ちいい風、溢れ出るコーヒー、日差し、揺れるカーテン、階段。夢であり狂気である。そして階段から落ちた。

 

Les inégalité (Un slum)

Je prends du repos.

J’attends le héros.

Je veux sortir de chez vous.

Je veux dormir chez nous.

J’avais rêvé le monde sans chagrin.

J’avais un rêve de sauver sa faim.

Je n’avais pas su qu’il y avait autant d’inégalités.

Je n’avais pas su que je verrais l’enfer de la réalité.

Je veux changer des pierres en du pains.

je veux réduire ses faims

 

Les riches cherchent un bijou d’opale.

Les pauvres cherchent un morceau des fromages.

ce monde est dominé par une petite partie de gens.

Beaucoup de mondes doivent vivre en une petite partie de l’argent.

 

Quel tu pense de un bateau?

C’est un véhicule de voyager pour quelqu’un.

C’est un véhicule de être envoyé pour quelqu’un.

Envoyons un cadeau par bateau.

Quel décide notre classe?

L’argent? Non, c’est nos âmes.

Prendrons un train de SNCF.

Donnons l’alimentation pour SDF.

Réfléchissons un plan de demain.

Il y a plein de chemins.

 

Comme c’est dans un théâtre, 

j’écrit mes deuils dans cette lettre.

 

Un jour,

un homme qui est au chômage,

il marche au bord de la plage.

Il laboure un champ,

Il passe son temps.

Il pense de son cours

Il cherche son cœur.

Il doivent courir

pour ne pas mourir.

 

Contre une dépression,

Avons une éducation, impression et passion.

et donnons l’alimentation.

Un brouillard disparaitra, il fera beau

et des fleuves recours a nouveau.

 votre santé.

 notre liberté.

 

音の世界で生きる

水の中にいる。小さな気泡が順繰りになって我先にと大気へ急ぐ。まるで精子が卵巣へかけるあれに似ている。

いつもそこで目を覚ます。この映像が何なのかは私にも分からない。ただ時折、感覚で全て埋め尽くされた後の眠りの中で、それを見る。まるで胎児の頃の自分に何かやり残したことがあるかのように。何が正解か分からないこの世界で1つだけ言えることがある。大切なのは自分を認め、自分に合った世界を自分で作ることである。自分に嘘をつき、地位や名声にこだわったところでろくなものは手に入らない。一回きりの人生、無理せず自分の心に従って歩く勇気が一番求められているのではないか。現実と理想の狭間で、人々は葛藤する。教科書なんてもの、あんなものは理想論でしかない。教科書を軸に生きてきた僕の人生は教科書以外のことでとても苦しめられた。それでも僕の頭脳が正しいと思い込んでいた。アフリカのどこかでライオンが捕虜にされ苦しめられているという。それは可哀想だとは言えない。弱肉強食で頂点に君臨してきて、追いやられたのは我々の祖先だったのであるから。何をいまさら助けてなどとほざくのか。といいつつも、やはり可哀想である。私は常日頃から、欲望を減らした、共存社会を目指している。しかしそれは理想論に過ぎないのかもしれない。少し隙でも見せれば、そこにつけ込んでくる輩は必ずいる。そしてひきずり降ろされていく。

 

孤歩

広大な野原に、連なる銀嶺、まるで宇宙のチリまで見えてしまいそうな透き通った天空の真下に、1本だけ細々と、時たま小さな石ころがもう1億年も友人の帰りを待っているように寂しげにポツポツと落としてある、そんな小道を僕は歩っていた。もう死んでしまいそうだが、芯は強そうな、乾いた木々が50m毎に頭をもたげながら上目使いでにやけながら僕を見ている。もうどれほど進んだのだろうか。まだ誰にも会っていないし、これ1つとして生命の手がかりを見つけていない。自分が生きているのかも分からなくなってくる。自分の手のひらを皺の奥の奥まで確認する。あぁ、カフカのいう蝶のやつかと思った。僕のままじゃあないか。色々なことがぼんやりと蘇ってくる。不思議なものである。ボケーっとしていると、ふと遠い昔、両親も忘れてしまっている記憶が蘇ってくるのだ。例えばこんな話を思い出した。私が小学校高学年で、弟が生まれて数ヶ月経った頃、弟の目と眉毛の間のところに変な筋があるのと臍のちょうど真下に一筋のぷっくらした水膨れのようなものがあるのとで両親が非常に心配していた。私はそれが大変まずいことであると子供ながらに理解して、心の奥底に可哀想というには浅すぎる、もっと深く黒いものが刻まれた。この子は果たして大丈夫なのだろうか。そんなことがふとした瞬間、今回の場合は河のほとりの苔がむしたちょうど椅子の背もたれのようになった岩に腰掛けた時、その岩の隙間にいた一匹のカエルを見て思い出した。これは弟の分身だというのであろうか。彼は今どこにいるのか。家族は?私の友人は?人間は?動物は?自然は?地球は?宇宙は?始まりは?終わりは?時間は?重力は?全てを忘れてしまった。覚えているのは、その響きだけ。何に関係するものなのかも忘れてしまった。