なぜ田園調布駅周辺はパリ凱旋門同様に同心円状の都市設計なのか(半円)

f:id:ShokaWorld:20220625174419p:imagef:id:ShokaWorld:20220625174405p:imagef:id:ShokaWorld:20220629074125p:image

 

https://imp.or.jp/special-1-3/


・田園調布の地理的役割

横浜駅と東京都心を繋いでいる

パリ凱旋門はナポレオンの凱旋用

 

・そもそも円的都市の効用

・数学的に中心からの距離が近くなる

・下水道や郵便の発達


・パリという都市が発達した時代背景

→19世紀中頃、パリ市庁舎オスマンによる大改革。衛生面や電気や郵便等のインフラの発達

パリの役割


凱旋門と田園調布の共通点

田園→パリも過去には田園都市であったと聞いたことがある


しかもなぜ田園都市は半円なのか

①東側と西側で格差が広がっていた

②東側と西側で地理的に

※半円が先にあったのではなく線路ができてから半円を作った→鉄道開通後の都市計画→東横線の歴史

 

・中心
パリ→凱旋門

田園調布→駅

 

・類似都市

オランダのアムステルダムは運河が同心円状に何層も建設されていた→物流、物資の運搬の円滑化?(都市の発達、人口増加)


他、田園調布の市長の趣味?

パリもしくは円形都市建設の発達した都市との交流の歴史?

横浜は外国の地→西欧の影響がそこまできていた?

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/円周率の歴史

 

旅の記し

諸々のやるべきことや迷いが溜まり、溢れると、僕は旅に出る。

 


受験期や卒論・留学中もそうだったが、区切りのつかない絶え間ない情報に浸り続けるとと途中で情報のオーバーロードになり、最終手段、ただとにかく歩いて情報をどこかにやるという力技に頼る。

 


ということで、僕はカメラ片手に、横浜から鎌倉まで徒歩で行くことにした。

 


雑誌で見た、鎌倉で噂のとある珈琲屋さんのためだけに。

 


さっと荷物を整えて、半袖・半ズボン・サンダルという、これから20km歩くとは思えないような服装で出てしまったことに10分後に後悔してももう遅い。旅はもう既に始まってしまったのだ。

 


道すがら、商店街のたばこ屋でたばこをふかしながら、大学時代のバックパックを思い出した。旅のお供にはやはりたばこなのだ。その時間にこそ旅の醍醐味、ロマンがある。そう信じてやまなかった。

 


今回は、地図を極力見ずに鎌倉まで向かうという制約を自分に課した。

 


昔懐かしい情緒を残した商店街を抜けて、保土ヶ谷駅に向かう途中に天王町駅を過ぎた時、急に不安になり、自分が地図上で見た駅は天王寺駅だったのではと思い、保土ヶ谷駅で左に曲がるはずが天王寺駅を左に曲がってしまった。その先左手に駅が見え、実はそれが保土ヶ谷駅なのではないかと思い、通行量の多い国道沿いを早足で歩った。しかし着いたのは西横浜駅。実は天王寺駅の更に先に保土ヶ谷駅はあったのだ。初っ端から地図を見ないという制約を破ってしまった。

 


その先、道がカーブする度に自分の方位磁石は鎌倉へと向き直してはくれないことを悔やんだ。自分をパイロットに喩えながら、都度調整しながら進むもいつのまにか迷路に迷ってしまう。やはり、複雑になり過ぎた現代、感覚ではなく先に情報を仕入れることと先駆者との協力が最も重要であると知った。

 


...

 


由比ヶ浜でチルをして、また海に遊びにきたいなと考えながら、カフェでドリンクを買って飲んだ。このために歩ってきたことに江戸時代、いやもっと昔の恋愛を妄想し、昔はなんてロマンチックだったんだろうと思考をふかしながら、人生を飲み込んだ。


これからは、鎌倉が徒歩圏内のところに住んでいると言うことにしようと思う。

“Orlando” by Virginia Woolf

興味を持ったきっかけは、東京大学総長で工学者の藤井輝夫さんの令和4年大学院入学式式辞で紹介されていたからだ。男性の主人公(恐らくヘテロセクシュアル)が突然女性に変わり、その後自分の心の変化よりも周りの視線や対応の変化に戸惑うという内容。誰しも自分では無い何かへの渇望を経験したことがあると思うが、実際に変化した際に相手の態度が大きく変わることの軽薄さに気づくだろう。

 

久しぶりに脳みそを英語の文章に浸したいと思っている。

 

リンク→https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2022_05.html

朝、東京の駅で見た素晴らしい日本サービス

朝8時頃、渋谷で浅草方面へ向かう半蔵門線に乗車した。しばらくの間は気がつかなかったが、その車両は車椅子1台分のスペースの空いた仕様で、そこに1人静かに、車椅子の男性が乗車していた。僕はぼけっと認識していたぐらいで朝の気だるい感じのままだった。永田町駅で扉が開くと同時に、1人の女性駅員さんが電車とホームの間の溝を塞ぐ折り畳み式の板のようなものを架け、「お客様どうぞ」と言った。その上を車椅子の男性が軽く会釈をしながら、とても滑らかに、違和感なく降りた。その後、ホームの反対側に来る次の車両に乗るのだろうか、その男性は逆側に向かったのを見て、その駅員さんも後を急いで追った。そして次の電車に乗車するまで、お客様を丁寧にご案内していた。日本の時刻表の精密さや鉄道会社の社員の方々の質の高い準備周到な連携プレーに感心したと共に、日本はデフレで経済的に低迷していたり、少子高齢化だったり、年功序列だったり何かとネガティブに評価されることが多いが、全て、この「お互いに同じ人間として助けカバーし合う"思いやりの精神"」が起点であると考えてみると、ネガティブなイメージの束の間に少しスキマができるのではないかと僕は思う。

境の作成方法

横浜から相模原まで車を走らせる途中の道に、神奈川と東京を短時間に数回跨ぐ場所がある。この県境が作られた歴史はどのようなものか、他の県・市・村にも同じような場所が無数にあり各々に歴史があるのか。例えばその土地特有の川や山といった地理的要因に依拠して作られたのか、過去の血縁的な繋がりで作られたのか、県・市・村にとって重要な歴史がそこにあって作られたのか、ただ自陣を広げるための交渉の末に作られたのか、色々あると思う。国境も同じで、現在進行中のロシアのウクライナに対する侵略戦争は暴力的な実力行使で国境を変更しようとしている。戦争というヴァンダリズム(破壊行為主義)は生産性の無い途方もない退廃的な行為で、特に文化的生産物(建築物や芸術作品、人々の暮らしなどあらゆる人間が築くものを指す)は0から1、さらに+0.1、+0.01...と築き上げていく必要があり、対数関数のグラフのように上げ幅は小さく+0.1や+0.01になろうともその小さな上げに価値がある高尚な次元の世界で、非常に時間がかかるが、それが例え10,000に到達していようと、0にすることはいとも簡単らしい。その意味をプーチン大統領は理解した上での正義なのだろうか、人類的視点では誤っている。とにかく境は大小、目に見える見えない関係なく、人の心に影響を与えるものなのだから慎重に関わりたい。

 

因みに...ヴァンダリズム(破壊行為主義)はフランス革命に続く恐怖政治の時代に多数の宗教芸術や建築物が破壊された際に、ローマ時代のヴァンダル族(~A.D. 534)の野蛮な行為になぞらえて、芸術や建築の保護を訴える際に用いられた言葉。