旅の記し

諸々のやるべきことや迷いが溜まり、溢れると、僕は旅に出る。

 


受験期や卒論・留学中もそうだったが、区切りのつかない絶え間ない情報に浸り続けるとと途中で情報のオーバーロードになり、最終手段、ただとにかく歩いて情報をどこかにやるという力技に頼る。

 


ということで、僕はカメラ片手に、横浜から鎌倉まで徒歩で行くことにした。

 


雑誌で見た、鎌倉で噂のとある珈琲屋さんのためだけに。

 


さっと荷物を整えて、半袖・半ズボン・サンダルという、これから20km歩くとは思えないような服装で出てしまったことに10分後に後悔してももう遅い。旅はもう既に始まってしまったのだ。

 


道すがら、商店街のたばこ屋でたばこをふかしながら、大学時代のバックパックを思い出した。旅のお供にはやはりたばこなのだ。その時間にこそ旅の醍醐味、ロマンがある。そう信じてやまなかった。

 


今回は、地図を極力見ずに鎌倉まで向かうという制約を自分に課した。

 


昔懐かしい情緒を残した商店街を抜けて、保土ヶ谷駅に向かう途中に天王町駅を過ぎた時、急に不安になり、自分が地図上で見た駅は天王寺駅だったのではと思い、保土ヶ谷駅で左に曲がるはずが天王寺駅を左に曲がってしまった。その先左手に駅が見え、実はそれが保土ヶ谷駅なのではないかと思い、通行量の多い国道沿いを早足で歩った。しかし着いたのは西横浜駅。実は天王寺駅の更に先に保土ヶ谷駅はあったのだ。初っ端から地図を見ないという制約を破ってしまった。

 


その先、道がカーブする度に自分の方位磁石は鎌倉へと向き直してはくれないことを悔やんだ。自分をパイロットに喩えながら、都度調整しながら進むもいつのまにか迷路に迷ってしまう。やはり、複雑になり過ぎた現代、感覚ではなく先に情報を仕入れることと先駆者との協力が最も重要であると知った。

 


...

 


由比ヶ浜でチルをして、また海に遊びにきたいなと考えながら、カフェでドリンクを買って飲んだ。このために歩ってきたことに江戸時代、いやもっと昔の恋愛を妄想し、昔はなんてロマンチックだったんだろうと思考をふかしながら、人生を飲み込んだ。


これからは、鎌倉が徒歩圏内のところに住んでいると言うことにしようと思う。